創部1934年
部長Law Graham(国際学術院教授)
副部長森田 典正(国際学術院教授)
監督髙岡 勝
チームドクター久保田 光昭 、鳥居 俊、岡本 圭司、窪田 大介、金田 達郎
チームトレーナー原田 長、北村 亮、下畑 拓巳、渡辺 裕之
主将亀井 理陽(法学部)
主務島田 芙希(法学部)
チームカラー臙脂・白・黒
部員数
( )はスタッフ数 
4年:46(10)
3年:46(8)
2年:46(5)
1年:48(10)
合計: 186(33)
2022年度スローガン 「一丸」
グラウンド所在地東京都 西東京市 東伏見2-7-5
早稲田大学東伏見総合運動場内アメリカンフットボール場

早稲田大学米式蹴球部は日本のフットボール誕生とともに生まれ歩んできた。
そしてその歩みは、数々の栄光を勝ち取るべくして注がれた絶え間ない努力と熱き闘いの結晶である。

2002年、早稲田大学米式蹴球部は初めて甲子園の舞台に立った。
振り返れば、ここに至る長い軌跡。新たな歴史を刻んだ今、更なる飛躍をめざし、ひた進んでいく。

1934年 (昭和9年)
立教大学ポール・ラッシュ教授が早稲田・明治・立教の三大学にアメリカンフットボール部を創部。日本スポーツ界にフットボールが普及する先駆けとなる。 第1回リーグ戦が行われる。

1936年(昭和11年)
慶應・法政がリーグ戦参加により五大学となったリーグ戦において初優勝(同率)。部名を「早稲田大学米式蹴球部」と改称。

1937年(昭和12年)
単独優勝。

1938年(昭和13年)
早稲田大学体育会に米式蹴球部として正式に加盟。

1939年(昭和14年)
単独優勝。

1940年(昭和15年)
関西大学との定期戦が始まる。日大がリーグ戦に参加し六大学となる。 太平洋戦争の勃発のため一時活動休止。

1946年(昭和21年)
終戦後、困難な生活状況化、現役部員・OB・連盟の努力が結実し、正式に復部し活動が本格的に再開される。

1948年(昭和23年)
他校に先駆けて画期的であったTフォーメーションを採用。

1953年(昭和28年)
念願の早慶定期戦が始まる。

1968年(昭和43年)
近代フットボールの目覚めと共に、組織化・スピード化が図られる。

1974年(昭和49年)
グアム遠征を挙行。

1980年(昭和55年)
笹嶋久監督が就任。近代フットボールの確立を目指し、フットボールの技術にみならず、基礎体力・運動能力の向上、勝負に対する哲学を確立していく。 フットボールがultimate sportsたるべくあらゆる角度から改革がなされた。

1983年(昭和58年)
「BIG BEARS(大熊=大隈)」のニックネームがつけられる。

1991年(平成3年)
早慶両校でアメリカ遠征。 早稲田はエール大学、慶應はハーバード大学にそれぞれ留学(短期合宿)し、最終日にハーバードスタジアム(最古のスタジアム)にて初の日本人によるフットボール試合である早慶戦が行われた。

1995年(平成7年)
楠本信之監督が就任。

1996年(平成8年)
入替戦で上智大学に敗れ2部降格。

1997年(平成9年)
入替戦で桜美林大学に勝利し1部復帰を決める。

1998年(平成10年)
春、ワシントン大学を招き、コーチングスタッフによるキャンプを実施。 秋季リーグ戦では初戦において、法政を破り勢いに乗るも、宿敵慶應に敗れ、プレーオフ出場を逃す。 結果はブロック同率2位順列3位。

2001年(平成13年)
日野庄弥新新監督のもと、秋季リーグ戦においては健闘するも、試合ごとの波が大きくあと一歩のところでプレーオフに届かず。 結果はブロック同率2位順列3位。

2002年(平成14年)
リーグ戦ブロック2位で初のプレーオフ進出。 準決勝で法政、決勝で専修を破り、甲子園ボウル初出場を果たす。 甲子園ボウルでは関西代表立命館に完敗も、早稲田大学米式蹴球部の新たな挑戦が始まった。

2003年(平成15年)
春、ヨコハマボウルに出場し立命館との再戦を果たすも完敗。 QB波木(4年)が第2回ワールドカップ ドイツ大会に出場。 夏季合宿地を妙高高原(新潟県)に変更。 秋のリーグ戦においては初の全勝優勝で2年連続のプレーオフ進出。 準決勝の東海大学戦では、同点の末のタイブレークで惜敗。 東日本大学王座決定戦シトロンボウルに出場し優勝。

2004年(平成16年)
創部70周年の記念式典を挙行し、朝倉孝雄新監督の就任を発表。 NPO法人「WASEDA CLUB」が設立され、アメフトディビジョン によるフラッグフットボールスクールが開校。 南カリフォルニア大学(USC)との交流が、堀田大介基金の支援も受けて スタート。7月にはコーチ1名を招聘。 リーグ戦はブロック2位で3年連続プレーオフ進出も、準決勝で中央大学に 敗れる。

2005年(平成17年)
東伏見グラウンドが最新式人工芝に。3月に竣工イベントを開催。 リーグ戦はブロック2位で4年連続でプレーオフ進出。 準決勝で法政大学と 対戦し1点差まで迫るも惜敗。

2006年(平成18年)
最終戦で法政大学に敗れブロック2位。 ※この年より制度変更でプレーオフは廃止。

2007年(平成19年)
第3回W杯が川崎市で開催される。選手2名が韓国代表に選ばれたことが縁で、 早稲田大学が練習会場提供、スタッフ派遣などで全面支援。 7月、USCコーチ2名を招聘。 リーグ戦最終戦で法政大学と全勝同士で対戦。第4Q終わって7-7の同点 で延長戦に。史上最長となる5度のタイブレイクの結果、33-41で敗退。

2008年(平成20年)
濱部助監督が1年間のコーチ留学でUSCに。 東伏見グラウンドの照明を大幅に改修。 最終戦で日本大学に敗れブロック2位。

2009年(平成21年)
7月、USCコーチ2名を招聘。 創部75周年の年、ブロック最終戦で日大を下し6年ぶり2度目の ブロック優勝を果たす。 東日本選手権に改組されたCLASHBOWLに出場。準決勝で 仙台大(東北代表)を下すが、決勝で法政に敗退。 井上素行OB(昭和12年卒)が日本アメリカンフットボール殿堂入り。

2010年(平成22年)
6月、ソウル遠征を敢行。高麗大グラウンドで韓国代表チームと対戦し、 28-7で勝利。 リーグ戦では7年ぶり2度目のブロック優勝。CLASH BOWL準決勝 で小樽商科(北海道代表)、決勝で法政を下し、東日本代表として 8年ぶり2度目の甲子園ボウル出場を果たすも、立命館に敗退。 RB末吉(3年)が関東リーグ6人目(7度目)、早稲田では初となる 1000ヤードラッシャーに。

2011年(平成23年)
RB末吉(4年)が第4回世界選手権オーストリア大会に出場。 リーグ戦では明治大学、日本大学に敗れてブロック3位に。 DB坂梨(4年)が連盟の通算インターセプト記録を更新。 RB末吉(4年)が小野梓記念賞(個人の部・スポーツ賞)を 受賞。(同賞の受賞は部で初めて)

2012年(平成24年)
リーグ戦は 5勝2敗でブロック2位に。

2013年(平成25年)
濱部昇監督が就任。リーグ戦は5勝2敗でブロック2位。

2014年(平成26年)
関東学生リーグの再編により、1部リーグがそれまでの並列制から、上位のTOP8と下位のBIG8に改組される。再編後の初のリーグ戦では4勝3敗でTOP8内4位に。

2015年(平成27年)
リーグ戦は6勝1敗でTOP8内1位に。5年ぶりに3度目の甲子園ボウ ルへの出場を果たした。
甲子園ボウルは、一時は3本差から逆転するも、最後は52ydsのFGが失敗し、27-28で惜しくも敗れた。

2016年(平成28年)
リーグ戦では6勝1敗で慶應義塾大学・法政大学と勝ち点が並び、得失点差でリーグ優勝を果たす。2年連続4回目の甲子園ボウル出場をするも、関西学院大学を相手に14-31で敗北し、全日本選手権準優勝に終わった。

2017年(平成29年)
髙岡勝監督が就任。リーグ戦は6勝1敗でTOP8内2位に終わり、3年連続の甲子園出場は果たせず。

2018年(平成30年)
関東リーグ戦で完全優勝を果たす。K/P高坂が慶應義塾大学戦にて1試合5FGを決め、関東学生最多記録を更新し、さらにDL斉川主将はリーグ戦MVPの冠を頂いた。そして東日本代表決定戦にて東北大学に勝利し、2年ぶりに5度目の甲子園ボウル出場を決めた。しかしながら、関西学院大学に敗れ、またしても悲願の学生日本一を逃すこととなった。

2019年(令和1年)
前年に引き続き、関東リーグ戦で完全優勝を果たし、QB柴崎副将がリーグ戦MVPに輝いた。東日本代表決定戦でも東北大学に快勝し、2年連続6度目の甲子園ボウル出場。因縁の関西学院大学に序盤リードされ、3Qで逆転を果たすも、敗北。またしても日本一には届かなかった。

2020年(令和2年)
新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受け、「特別なシーズン」としてA・Bブロック四チームずつの変則リーグ制にて開催され、Bブロックにて一試合は中止となり、結果は一勝一敗。順列決定戦ではAブロックの東京大学に勝利を収めたものの、関東5位に沈む。

2021年(令和3年)
新型コロナウイルス感染症拡大の影響で開幕が1か月遅れた秋季リーグ戦であったが、途中からは2年ぶりに有観客で試合が開催された。前年同様2ブロック制となり、全勝対決の明治大学戦では、オフェンス・ディフェンスともに粘り強さを見せブロック1位で通過したが、決勝で法政大学に敗れ、甲子園出場にはあと一歩届かなかった。

私たちは、日本フットボールのルーツ校であり、リーダー的役割を果たしてきたその誇りを胸に、
続・関東制覇そして悲願の日本一を目指し、日々前進し続けている。